前回「彩度?」というエントリを公開したのですが、自分で読んでてな~んかチガう(笑)
4月のレッスンを終えて、教わった「練習するときのコツ」というか方法というか・・・。
「一つ一つの音を追うのではなく、あくまでフレーズをひとまとまりとして弾く。」
「ゆっくりいいので、とにかくフレーズを感じながら弾く」
そこを意識しながら練習する。
え~とですね・・・先生はこれたしか「練習法」とかそういう言い方をしたわけじゃなかったよねぇ・・
で、私は「そうかっ! 練習するときにはそうやって弾こうっ!」と思ったんだけど・・・・
「練習だから」じゃなくて「ピアノ弾くってことは」or「音楽って」みたいなもっと大きな大前提だよ、たしか。
ピアノ弾くってことは、音楽に触れること(と私は解釈したの)
音と音と音をネックレスみたいに繋いでいけば音楽になる・・のかと思っていたのは私。
真珠の一粒一粒を繋ぐみたいに。でもそれはもしかして違うかも。
(あくまでたとえ話という前提で。そこんとこヨロシク。汗)
だってそれだとやっぱりね、そのつないでいくものが「真珠」じゃないとね(笑)
わたしがやると真珠・・・じゃないものをつなぐことになるんだもん・・・。orz
真珠に憧れてる石くれ・かわらけ・・・みたいな?
真珠のネックレスに憧れてはいるけれど、でも今手元に真珠はないのよ。残念だけど。
でも、真珠はないけど粘土(単純な音)があるの。だから、粘土で塊(フレーズ)を作るの、楽譜というレシピで。
私が作るから、やっぱりそんなにステキな塊にはならないかもしれないの。てかならないわね(笑)
でも、楽譜のレシピを見ながら粘土で作る塊。それを繋いでネックレスをつくる。
ステキなレシピがあるから、ちょっとくらいごつごつしててもなんとかなる。
どの塊も作ってるのは私だから、そこにはなんとなくではあっても統一感がある。
それなりの存在感や美しさもある。そんな感じかな。
楽譜のレシピから作るフレーズという塊。それを繋ぐの。
そんな感じの理解(おい)
(だからあくまでたとえ話なんで。。。しかも私が考えたたとえ話なんでw)
弾いてる曲の彩度があがった・・・・って書いたのですが、もっと砕いていうとこんな感じなんです。
作品としての(曲としての)カタチが、見えてきたかな?
そんな実感でした。
(あああああ、うまく表現できない~)
で、そういうことを(フレーズを意識して、フレーズを感じて)やるのが練習だから、練習そのものがつまらない、ということが激減!
なにしろフレーズを味わうわけだからね、つまらなくないよ?
一言で言えば「レッスンで意識が変わった」ってことなのかもしれませんが、メモなのでいろいろ書いてみましたです。ふ~。
・・