みちくさpiano

昨年からピアノ習いはじめました♪ピアノに関すること、少しずつ記録します♪
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生きている

小さな曲を弾く。というか、まだ小さな曲しか弾けない。
はじめの音から終わりの音までフレーズが続いて続いてひとつの作品。


一定の時間をとって奏でられる曲は、なんだか生き物みたいに思えて。


小さなひとつの命みたいに感じられてしまった。
同じ楽譜から生まれるいのち。似てるけど、その時限り。


同じDNAから生まれる、でもただひとつの命のような(笑)


かけがえのないその一瞬・・・。


曲は生きている。奏でられるその瞬間、曲は生きている。
私たちの一生と同じ。
そんな気がしてならない。

子どものころよりも

今のほうが、さまざまなことに対する理解力があるせいかどうかしらないが、ピアノの上達度は速く感じている。
子どものほうが時間のながれそのものがゆっくりだったから、ではなく、時計の針の進み方ではかっても、やはり速いのではないか。



落ちこぼれ生徒だった私はバイエル終えるのに何年かかったんだろうね(忘れたけど)
ブルグミュラー25練習曲を始めたのがいつで、終えたのがいつかもまったく覚えがない。



今はそういった教本の進み具合で上達度をはかるわけではないので、比べようもないのだが(笑)


若い頃にそれなりに弾けるようになった記憶のある方は「あの頃のように弾けない」と悲しむのかもしれないが、ろくに弾けた記憶もないので、そういった苦しみとは全く無縁でいられる。


若い頃は(いつだろう?)ピアノを弾いていなかったので、比べようがない。

子どものころ(の私)より、分別もつき、練習もはっきりと自分だけのためだとわかる。

たとえあまり練習せずにレッスンに赴くとしても、子どものころは罪悪感があったが、今はない。レッスンからは少しでも学び取ろうとしているから、先生の言うことを上の空できくこともない(子どものころはあったのだ)。


大人になって(というかこんな年になってというか)ピアノを習えるのは本当に素敵なこと。

コミュニケーションの成否は受動側に(本を読んでおもうこと)

海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス
海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス
著者:池谷 裕二
出版社:朝日出版社
カテゴリー:本

最近読み直しました。
この本が好きです。忘れた頃に(忘れるんかぃ)読み返しては「ああ、そうだったわぁ」と。


第4章 やりすぎが天才をつくる
のなかに
「受け手が主導権を握る」というのがあるんですが、ここを読んで「う~」(笑)
脳の神経細胞の話なんですが、糸井重里さんが下記のように受けるんです。



なるほど。それって、ふだんのコミュニケーションもそうですよね。つまり、池谷さんが今何を言っていても、ぼくが聞こうとしなければ、面白い情報はぼくの心につながらない。


わたしがレッスンをお願いしている先生は、ピアノの演奏に関してものすごい量の情報を持ってる(と思う、間違いなく)。
わたしのボロクソな弾き方をみて、あるいは聞いて「こうするとよくなります」ということを教えてくださる。


でもね~!でもね~!でもでもでもね!(でも、という言葉はあまり芳しくないですが)

受け手たる私のほうがね~。


膨大な情報(というかピアノ弾くコツ)のなかから、私の技量にふさわしいものを伝えてくださってるはずが・・・


私はいったいどのくらいそれを理解できてるんだろう?
きっと先生の伝えたいことのほん の一部しか理解してないに違いない、間違いない。ごく一部だけしか理解できないのだ。



そしてさらにその「わかったつもり」になったことのさらにさらにごく一部しか身につけることができない・・・・・。


レッスン直後は「わかったぞ~!」とキラメいているあれやこれやが、時間がたつうちに「あれ?どうだったっけ・・・」になっていく。

全部全部、一回でスパっと理解して、それをすべて自分のものにできるなんて、虫のいいはなしのあるわけはない。それでも少しは身についているだろう(と期待)。それの繰り返し。


それしかないんだよな~。


先生にレッスンしてもらえるだけでも、ある意味すっごくありがたい。有り難すぎてもったいないくらいに感じてる(もちろん代金は支払うし、お約束の時間以上にレッスンしてもらうわけでもないけれど→あたりまえ)
それだけに、先生の伝えたいことが、たくさんたくさん零れ落ちていってしまっている(にちがいない)と思うと、すこしでもたくさん理解して身につけたいよなぁ、と切に願う。



精進しかないんだけど(このレベルでも、だ。いや、このレベルだからこそ、かな)。


この本には、
どんなにトシをとっても、脳の働きは衰えない、ときっぱり書いてある。
それが正しいかどうかはまた別の問題だとしても、それは「希望」だとおもう。
誰でも年はとる一方(笑)


すこしでも理想に近づいていってる、という希望をもってちょっとずつでも積み重ねていけたら・・・!
積み重ねていけばいくほど、「べき乗」で理解は深まるとのことなので、私の受けるものも増えていくかもしれない。



あきらめちゃいか~ん、自分。ファイト!