コミュニケーションの成否は受動側に(本を読んでおもうこと)
- 海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス
- 著者:池谷 裕二
- 出版社:朝日出版社
- カテゴリー:本
最近読み直しました。
この本が好きです。忘れた頃に(忘れるんかぃ)読み返しては「ああ、そうだったわぁ」と。
第4章 やりすぎが天才をつくる
のなかに
「受け手が主導権を握る」というのがあるんですが、ここを読んで「う~」(笑)
脳の神経細胞の話なんですが、糸井重里さんが下記のように受けるんです。
なるほど。それって、ふだんのコミュニケーションもそうですよね。つまり、池谷さんが今何を言っていても、ぼくが聞こうとしなければ、面白い情報はぼくの心につながらない。
わたしがレッスンをお願いしている先生は、ピアノの演奏に関してものすごい量の情報を持ってる(と思う、間違いなく)。
わたしのボロクソな弾き方をみて、あるいは聞いて「こうするとよくなります」ということを教えてくださる。
でもね~!でもね~!でもでもでもね!(でも、という言葉はあまり芳しくないですが)
受け手たる私のほうがね~。
膨大な情報(というかピアノ弾くコツ)のなかから、私の技量にふさわしいものを伝えてくださってるはずが・・・
私はいったいどのくらいそれを理解できてるんだろう?
きっと先生の伝えたいことのほん
の一部しか理解してないに違いない、間違いない。ごく一部だけしか理解できないのだ。
そしてさらにその「わかったつもり」になったことのさらにさらにごく一部しか身につけることができない・・・・・。
レッスン直後は「わかったぞ~!」とキラメいているあれやこれやが、時間がたつうちに「あれ?どうだったっけ・・・」になっていく。
全部全部、一回でスパっと理解して、それをすべて自分のものにできるなんて、虫のいいはなしのあるわけはない。それでも少しは身についているだろう(と期待)。それの繰り返し。
それしかないんだよな~。
先生にレッスンしてもらえるだけでも、ある意味すっごくありがたい。有り難すぎてもったいないくらいに感じてる(もちろん代金は支払うし、お約束の時間以上にレッスンしてもらうわけでもないけれど→あたりまえ)
それだけに、先生の伝えたいことが、たくさんたくさん零れ落ちていってしまっている(にちがいない)と思うと、すこしでもたくさん理解して身につけたいよなぁ、と切に願う。
精進しかないんだけど(このレベルでも、だ。いや、このレベルだからこそ、かな)。
この本には、
どんなにトシをとっても、脳の働きは衰えない、ときっぱり書いてある。
それが正しいかどうかはまた別の問題だとしても、それは「希望」だとおもう。
誰でも年はとる一方(笑)
すこしでも理想に近づいていってる、という希望をもってちょっとずつでも積み重ねていけたら・・・!
積み重ねていけばいくほど、「べき乗」で理解は深まるとのことなので、私の受けるものも増えていくかもしれない。
あきらめちゃいか~ん、自分。ファイト!